📖人生どん底ストーリー一覧
① 41歳、借金600万。ここから人生やり直す
② 母子家庭と毒親。私の人生の始まり
③ 母に支配されたくなかった私。反抗
④ 16歳でコンビニバイト。しつこく連絡先を聞いてきた彼
⑤ 義実家同居で始まった監視される生活
⑥子供を置いて家を出た日
⑦子供に誤りに行った日
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私の人生は、幼稚園の頃から少し普通とは違っていました。
私はもともとおとなしい子どもで、友達と外で遊ぶよりも、ひとりで絵を描いている時間が好きでした。
特に動物が好きで、よく動物の絵を描いて過ごしていました。
幼稚園の頃の私は、今思えば少し変わった子だったのかもしれません。
友達と群れて遊ぶことがあまり得意ではなく、幼稚園に行くこと自体もあまり好きではありませんでした。
でも、そんな日常はある出来事をきっかけに大きく変わりました。
両親の離婚
小学校に入る前、両親は離婚しました。
私の記憶の中のお父さんは、動物が好きで優しい人でした。
だからこそ、両親が離婚した時のことは子どもながらに少し寂しかったのを覚えています。
そして離婚したあと、母は突然いなくなりました。
どこで何をしていたのか、私にはわかりません。
小さかった私と姉は、何もわからないまま親戚の家に預けられ、数ヶ月間そこでお世話になることになりました。
あの頃の私は、ただ「どうして家に帰れないんだろう」と不思議に思うばかりでした。
子どもだった私には、何が起きているのか理解できませんでした。
母子家庭の生活
しばらくして母と一緒に暮らす生活が始まりました。
でもその生活は、私が思い描く「普通の家庭」とは少し違いました。
母はほとんど家にいませんでした。
食事も用意されていることはなく、姉と二人で家にあるものを食べて過ごしていました。
お米に塩をかけて食べるだけのこともありました。
今思えば、母の手料理の記憶がほとんどありません。
いつも怒っている母
母はいつもイライラしていて、よく怒鳴っていました。
何をしても怒られる。
目が合うだけで「また怒られるかもしれない」と怖くなる。
そんな毎日でした。
たまたま友達と外で遊んで帰った日、母にこう言われたことを覚えています。
「どこ行ってたんじゃ!
一人で生きていけると思うなよ!
20歳までは親の責任なんじゃ!」
ただ外にいただけなのに、怒鳴られる。
母の目の届かないところにいるだけで怒られる。
だから私は、
「何もしないでじっとしているのが一番いい」
そう思うようになりました。
小学生の頃の私
小学生の私は、母の顔色ばかり見て生きていました。
勉強をして100点を取れば怒られない。
ただそれだけの理由で、勉強をしていました。
友達と遊ぶこともあまりありませんでした。
仲良くなっても、家のことを考えると面倒になって距離を置くようになりました。
一人でいる方が楽だったからです。
唯一の楽しかった思い出
そんな生活の中でも、少しだけ楽しい記憶があります。
母に彼氏ができた時期がありました。
私たち子どもから見ると、だいぶ年上のおじさんでしたが、その人はお金に余裕があったのか、私たちをディズニーランドに連れて行ってくれました。
それが、子どもの頃の数少ない楽しい思い出です。
でも母の性格もあり、その人との関係も長くは続きませんでした。
今振り返って思うこと
当時の私は、自分の家庭が特別おかしいとは思っていませんでした。
ただ
「母が理不尽に怒る家庭」
「貧乏な家」
それが普通なんだと思って生きていました。
でも今振り返ると、あの頃の私はいつも怖くて、いつも我慢していた子どもだったと思います。
そしてこの家庭環境は、このあと私の人生に大きく影響していくことになります。
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ここまで読んでくださってありがとうございます。
でも、私の人生のどん底はまだここではありませんでした。
このあと私は結婚し、3人の子どもの母になります。
そして人生で初めて、本当の意味で「どん底」を経験することになります。
その話は、また次の記事で書こうと思います
KIKI





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